「月夜に、実家のベランダでギターを弾くのが好き。曲のイメージが降りてきます」(松尾レミ)
━━(塚田) まず、松尾さんにお聞きします。メロディが思い浮かぶ瞬間は、どういうときですか?
松尾レミ(以下、松尾) 今は2つパターンがあるかもしれないですね。まずメッセージ性の強い、力強い曲を依頼されたりしてつくろうとするときは、主に東京の自宅にこもって「よし、つくり込むぞ!」って取り組むことが多いです。でも、意外と曲のイメージが「降りてくる」のは、地元に帰ったとき。たとえば、昔歩いた通学路に散歩に行ったりすると「ああ、こういうメロディの曲を書きたいな」と思いついたり。あとはやわらかい曲・優しい曲をつくるときには、実家の庭を眺めたり、月夜が好きなので夜ベランダに出て月の光の下でギターを弾いていると、ふっと曲のイメージが降りてくるんです。
でも、(新型コロナウイルスの影響で)今はもう1年近く実家に帰れてないので、東京で色々なやり方を試しているんですが……早く地元に帰りたいですね。
━━ふだん、曲を聴くことはあっても、自分で作ることはないので、すごく興味深いです。
松尾 曲を作るのは難しい理論ではなくて、全部感覚なんですよ。私は昔から、ノートとスマホのボイスメモで(曲をつくる)というスタイル。たぶん、私よりも皆さんのほうが楽譜読めるんじゃないかな。
━━(小林) 次は、お二人にお聞きしたいです。一番最初にプロのミュージシャンになりたいなと思ったのは、いつですか? 私は短大の栄養科という今の進路を高校3年生のときに決めたのですが、お二人が、「プロとして音楽を仕事にしよう」と決めたのはいつなのかを知りたいと思いました。
松尾 いつからと言われると、じつは曖昧で。GLIM SPANKYはまず、高校2年生のときに飯田のライブハウス「CANVAS」で開催された、「ロック番長!!!」というソニーミュージック主催のイベントで、なぜだか優勝させていただいてしまって。その時、オリジナルは3曲くらいしかなかったんですけどね。
━━すごいです……。
松尾 続いて翌年に、「閃光ライオット」という10代限定のフェスの出演オーディションのようなものに応募したんです。これでファイナリストになったときに、松川高校の先生や友達がすごい応援してくれて、学校で壮行会をしてくれたんですよ。
まず先生が、「これが運動部だったら全国大会に出場するってことだから、音楽とか運動とか関係なくみんなで壮行会しよう」と言って、みんなで企画してくれたんです。すごくうれしかったですよね。高校3年だし、受験だからバンドやめなさいとか、普通に考えて言われると思ったし……周りの友達もみんな言われてたし、そうなるはずだと思うんです。
でも、そうじゃなかった。周りの人が応援してくれたから、さらに自信が持てて、「じゃあ私は東京へ行って、プロになろう」と……いや、プロと意識したというよりも、音楽だけじゃなく美術も好きだったので、「東京に出て、絵を描きながら音楽をやろう!」っていうことを決意したんですよね。高校3年生の夏でしたね。亀はどう?
亀本寛貴(以下、亀本) そうだね、今は「プロのミュージシャンになろうと思ったのは」という質問だったと思うんですけど、実はプロになる、ということを目標にした意識はあまりなくて。僕らは今、プロなんだけど、音楽が仕事だけど、でも仕事じゃないものだったりするんですよね。一般的に仕事というと、月曜日から金曜日勤めて、というイメージだけれど、僕らはそういう人たちが休みのときが仕事だったりするじゃないですか。
松尾 ライブとかね。
亀本 そうそう。僕らは一応、仕事でステージに立っているかもしれないけど、観る人聴く人たちからしたら、その場は休みの日の娯楽、エンターテインメントなわけですよね。
しかも、僕たちはアマチュアのときだって、お金をもらわなくたって、ステージに立って、ライブしていたんですよ。音楽をやりたいから。だから自分のなかでは、バイトも辞めてプロとしてデビューしたときからある意味、毎日が夏休みのような感覚で。音楽を仕事にした、というよりも、「やりたくてやってたことを、こんなにずっとやっていていいんだ!」って思ったし、そういう気持ちを持ち続けてやる音楽でありたいし、忘れちゃいけないって思っているんです。
松尾 プロってなんだろう?って考えると、実は、すごく難しいよね。たとえば「インディーズレーベル」と言われる、メジャーレーベルがやっていないところでめちゃめちゃ売れてる人もいるし、一方でプロでメジャーレーベルでやってたとしても全然食べていけない人もいるし。何をもってプロというのかがすごく曖昧な世界。だから「絶対にプロになる」っていうよりも、ちゃんといろんな人に自分の音楽を聴いてもらいたいという感覚で、変わらず今もやっているって感じですかね。
今も全然まだまだだと思ってるし、「もっといろんな人に聴いてもらいたい!」っていう気持ちは当時のまま、ずっと進んでいるという感覚なんです。
「『力強さ』は僕らの強み。ジャンルにはとらわれず、好きを素直に表現したい」(亀本寛貴)
━━(山本) 私はこのインタビューのお話が決まってから、はじめてYouTubeでお二人の曲をじっくり聴かせていただいて。
二人 ありがとうございます。
━━それで、すごく力強い印象を受けたんですけれど、今後取り組んでみたい新しい曲調や、イメージなどはありますか?
松尾 そうですね、なんだろうなあ……。たぶんYouTubeで公開しているような、映画の主題歌やアニメの主題歌を書くときって、やっぱり刺激的な曲を求められてきたんですね。それはおそらく、私の歌う声が歪んでいたりとか、ロック的な強みがとてもあるので、そういう部分をよりフィーチャーしたリクエストだったと思うんですけれど。
でも実は、強い曲、早いビートの曲って、デビューしてから挑戦しだしたもので、以前は結構、フォーキーな感じや落ち着いたミディアムテンポの重いロックが多かったんです。
バラードを作るのも得意だし、つくってきているんだけれど、なかなか世間的には(GLIM SPANKYの)イメージとしてはまだ浸透していないから、「歪んだ声」「力強いロック」以外の部分をちゃんと見せられるようなアプローチが今後もできていったらいいなと思っています。
でも、GLIM SPANKYはジャンルにとらわれないバンドでいたいなあ、という気持ちはありますね。何かに縛られるのはいやだから、常にいろんな引き出しを持っていて、いろいろな表現方法があるっていう……なんだろうな、「なにかに挑戦したい!」というよりは、自分がその時々で影響されたものを飲み込んで、咀嚼して表現する、そういうサイクルを常に創っていきたいなあと、ずっと思っています。
亀本 実際、音楽的には変化してきていると思うんですけど、でも、バラードだろうがテンポが遅い楽曲だろうが、僕らの場合「力強さ」っていうのはきっと、第一印象として必ずついてくるものなんだと思うんです。ずっとそういう印象なんだろうなという気はしていて、それが強みだとも思っている。だから、さっき松尾さんも言いましたけど、こういうこと好きだな、こういうことやってみたいなっていうことを、音楽に反映していくだけですね。
松尾 どんなジャンルを、ではなく、とにかく自分が20年後も30年後も歌っていきたいと思える楽曲をつくるのがミュージシャンとしての目標ですね。それが、より多くの人に届いたら最高だし、っていう順番。で、じゃあ多くの人に伝わる音楽であるためには、と考えると、まず誰よりも自分がその曲をいいって思っていないといけないし、「これいいでしょ」って人に伝えるからには誰よりも自信をもっていないといけない、誰よりもステージを楽しんでいなきゃいけない。その“好き”度、音楽が楽しい、音楽が好き、自分の作る楽曲に自信があるという“純度”は落とさずに、いろんな作品をつくっていきたい、って思います。
━━ジャンルにとらわれずに、自分たちの音楽を確立して自信をもって伝えていきたいという言葉にすごく感動しました。かっこいいと思いました……!
二人 ありがとう!
ただ「音楽が好き」でやっていたときと、変わらない純度で
━━(塚田) 先ほど、プロとアマチュアで、音楽に向き合う気持ちは変わらないということでしたが、活動として求められることなどの違いはありますか?
松尾 それは、めちゃめちゃありますね。まず、曲をつくるスピードが、私は本来、そんなに早くないんですよ。すごく早い人だと1日に何曲もできちゃう人もいるんだけど、私は「捨て曲でもいいからいっぱい出して、そのなかから選んで」というのはやりたくなくて、どうせなら魂込めた一曲を、時間をかけてつくりたいタイプで。
デビューするまでは締め切りもないし、月に……いや年に何曲か、つくるぐらいだったんです。でも今は、そのスピードを何十倍にもしなければいけない。自分たちの曲だけじゃなく、他のアーティストさんに楽曲提供したり、コンペに出したりと、クオリティもスピードも常に求められるんです。最初は、それに応えるためにどんなふうに自分のやり方を変えていけばいいかなんてわからないし、答えもないから、苦労しましたね。
あとは意外かもしれないけど、曲作りの時にたくさんの人が周りにいる状態なのが、恥ずかしいし、嫌で(笑)。アマチュアのころは亀と二人で「はい、弾き語りの状態できました、次はアレンジよろしく!」ってやっていて、完成するまで誰にも聴いてほしくないものだったんですよ。その恥を捨てるというか、完成していない状態から自信を持つ、というふうに自分を変えていく必要がありました。
亀本 関わる人の数がすごく増えた、というのは僕も松尾さんと同じで実感しますね。自分たちが世に送り出す音楽の内容やそれがもたらす結果、みたいなものがいろんな人の生活に関わってくるという責任もあって。
で結局、ずっと同じ話をしているんだけど、純粋に音楽が好き、楽しいからみんなでやろうぜ、っていう気持ちは薄れていきがちだと思うんですよ。それは、仕事としたら正しいかもしれないけど、ある意味仕事ではない、音楽なんだということを前提にやることが大事で。プロとアマチュア、違いはあっても気持ちの上では違いがないことにして向き合うことで、結果いい「仕事」につながるんじゃないかなって。
松尾さんと二人、音楽が好きでやってたときと同じ純度でやることが大事だし、いろいろなアーティストを見回してもそういう純度を保てている人がやっぱりずっと、素晴らしい楽曲を作り続けているのかなと、思っております。
松尾 私もそう思います。どんどんつまらなくなっていっちゃうからね。大事にしなきゃって思わなきゃいけないくらい難しい。
亀本 難しいよねえ。年齢重ねていけば、より一層そうですよ。
松尾 うん。でも私は、ジャケットでも衣装でもグッズでも、誰がデザインしたとしてもロックをやるからにはGLIM SPANKYとしてのアイデンティティがちゃんと見えているものでありたいって思っているし、難しいからこそそれをめざしたいです。
あの映画主題歌は、一枚の絵画のインスピレーションから
━━(塚田) 先ほどと、今のお話に関連して……曲作りや演奏など、ミュージシャンとしての「インプット」はどのようにしているんですか?
亀本 そうだなあ、音楽はまず聴くことが大事だと思っているけど……言語化するのがむずかしいな、松尾さん、どうですか。
松尾 そうですね、音楽をいっぱい聴くのは大前提として、個人的にはそれ以外の、絵画とかそれこそ(故郷の)豊丘村の景色とか、そういうものからインスピレーションを受けますね。
たとえば、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んで、この世界観素敵だなーって思ったときに、じゃあこれが映画なら後ろでどんな音楽が流れていそうかな、とか考えることをきっかけに、(曲をつくり)始めたりしますね。
そうだ……ちょっと、待っててね。
松尾 これ、私が大好きなマックス・エルンストという人の画集なんですが、私はこの本から結構作品をつくっているんです。
たとえば……ガス燈に蛾が群がっているこの絵。この作品からインスピレーションを得てできたのが、『闇に目を凝らせば』という曲で。
松尾 この曲はまさに、この絵をイメージして、この絵の世界の主題歌を作ってみよう、という気持ちで書いたんです。歌詞にも「ガス燈へと群がる虫たち 自ら命を燃やしに集うよ」という一節が入りました。
音楽をつくるからこそ、逆に絵とか、詩とか、映画とか文学とか、それ以外からのインスピレーションを大事にすると、オリジナルのものになるというイメージは持っています、いつも。
━━音楽をつくるならインプットも音楽を聴いて、というイメージがありました。絵画を観て、なんて考えたことがなくて、本当にすごいなって思います。
松尾 音楽聴いちゃうと、直接の答えがそこにあるからね、メロディがそこに。だから音じゃないところから思いつくメロディのほうが、ときにユニークになるのかな、って。それはきっと、他の分野にも言えるんじゃないかな、企画を考えようという人とかの話を聞いてみても、「そのもののことを考えているときじゃなく、違うことをしているときにひらめいた」っていう話、聞きませんか? それと同じだと思うんです。
どこにいても、発信できる時代だから。自分の好きな場所で、自分にしかできないクリエイティブを
━━(塚田) 最後に、ここ飯田下伊那地域に暮らしている、これからミュージシャンとして世界をめざしたい若者に、ぜひエールやアドバイスをお願いします。
亀本 音楽で?……難しいな。でももはや、今となっては本当にどこに住んでるとか関係ないし、今、人気の若いアーティストで10代くらいの子たちはすでに東京に住んでない人たちも多いですよ。ここ1、2年とか全然東京に出て来てない人が本当に増えてきてる気がしますね、とくに10代ぐらいの子達は。
たぶんどこにいるかよりも、(音楽)シーンの第一線のレベルが自分にとって当たり前の水準にするってことが、本気でやっていくにはすごく大事なんだなと思う。
僕らは、さっき松尾さんが言っていたようなコンテストに出ていたことで、野球だったら甲子園スタメンみたいな同世代の子たちと、もう10代の時に身近に出会っていて、「このくらいの子たちが普通にいるんだ」って事を肌で感じられる環境だった。だからこそ、「自分たちの音楽を、クオリティ高く作っていく」という感覚が当たり前に持てたんです。それがもし、長野だけでやっていたら、自分たちだけでバンドを組んでオリジナルの曲を作って録音して発表して、ってこと自体まず敷居が高いですし、その質を上げていこうってことが凄く大変なことに感じてしまったかもしれない。それで「やっぱり東京でやってる人達は凄いんだ、長野にいる自分たちはレベルが低いんだ」っていう感覚にも陥りがちだと思うんですけど、その壁を突破するのが早かったってところが、僕らはすごく良かったなと思っていますね。
亀本 今の時代は、当時よりもインターネットがものすごく発展しているんで、よりボーダレスになってて、質の高い音楽をつくっている同世代とか、世代問わず同時代のミュージシャンと最初っから自分を同列に評価できる世界になっていると思うんですよね。東京にいなくても、どこに住んでいてもね。
本当に、自分の能力次第というか、努力次第というか。音楽の情報も、かつてに比べたら格段に安く、ほぼ無限に手に入るもんね。まあ、松尾さん家はレコードがいっぱいありました※けど、レコードがいっぱいない家の子でも、昔の音楽だって聴くことならできるわけで。まず情報として入手できることの差はほぼないので、地方にいることのデメリットやハンディキャップってのはないんですよ。だからもし、自分が一定のレベルに達してないんだったら、条件のせいじゃなくそれがその時の自分のレベルなんだっていう気持ちでやることが、大事なんじゃないかな。
※松尾レミの実父はレコードコレクター
松尾 逆に、いいよね。地方で音楽をつくるって。私、今すぐ飯田に帰りたいもん。「絶対、豊丘の方が曲できるんだよなぁ」みたいな感覚、あると思いますよ。自分が何に刺激を受けて曲を作るかにもよるんですけど。私たちの時代が何で東京に行かなきゃいけなかったかというと、ライブハウスのシーンがあって。
亀本 そうだよね。
松尾 メジャーレーベルの人たちが、お忍びで観にきていて、直接スカウトされるのが一つの道筋で。
亀本 そうそう(笑)
松尾 名刺渡されて、「本当にこの人は怪しくないだろうか?」みたいなのも(笑)経てデビューになるとか、そういうことしか道が無かった。ネットで見つけられてデビューとかは無くて。
亀本 ないない。しかも、会議・打ち合わせするから東京に行くって、この2020年を経た今では、笑っちゃうような状況だもんね。
松尾 そうそう。だから、逆に伸び伸びと、自分だけにしかできない音楽を自分の好きな場所で作って、ちゃんとした作品を残して発表していくことが、クリエイティブにおいて一番の環境になるんじゃないかなと思います。とにかく自分の中でのクオリティを上げてドンドン発表していく。おそれずに、ちゃんと発表していくのが大事かなと思います。
━━ありがとうございました!
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