「ドレーピング」の技を用い、反物や着物をライブでドレスに

━━今日は、ドレスショー開催の直前にお邪魔しました。今回のドレスは、どちらにあるのでしょう?

岩下昭子さん(以下、岩下) メインのドレスはありません。リハーサルを終えて、畳んでしまったのでこちらになります(笑)。

━━反物のまま……?

岩下 はい。この「飯田紬」を、能舞台の上でモデルさんの身体に直接巻きつけて、ドレスに仕上げます。反物だけでなく仕立てられた着物も同様に変身させるという、新たな取り組みです。

━━はじめて聞く着物や反物の使い方です。

岩下 そうですね。初めての試みなので説明が難しいのですが、「着物再生ドレス」というタイトルをつけて考案した、新しい取り組みです。

長野県昼神温泉「石苔亭 いしだ」でのショーにて(本人提供写真)

━━そもそもの発想は、どのようなところからきているのでしょう。

岩下 生地から型紙を作るときに「ドレーピング(立体裁断)」と呼ばれる技法があります。ボディーに布を巻き付け、ピンで形を作ってハサミを入れて、余分な所を切り落として形ができあがります。反物や着物にハサミを入れるのが嫌だったので……このドレーピングの技法を生かそうと考えました。

これなら、大切なお着物や、仕立てられずにいた反物も、壊すことなくそのままドレスとして生かすことができます。例えば結婚式では、控え室に下がらずにお客様の前でお色直しが完成します。何度でも元に戻すことができるのが魅力だと思います。

「着物再生ドレス」に使用するピン

「なにかあるはず」と、渡仏して気づいた日本の力

━━では、今に至る道のりについて教えてください。ファッションの仕事は子どもの頃からめざしていたんでしょうか。

岩下 母の思い出の品として遺されていた手製の刺繍を施した枕カバーや、パッチワークが、私の原点かもしれません。それらを手にして「手作りのものは、たとえ本人がこの世を去っても残るんだ」と感じたことを強く覚えています。母を早くに亡くし、母の記憶はないのですが、手作りのものを見ると愛されたという形に思えるし、その人自身が生きた証としてものこるんだな、って。

━━専門学校を出て、社会人としてドレスメーカーで働いたあと、フランスでの留学もご経験されたんですよね。

岩下 はい。まず専門学校を卒業後は、全国の貸衣装屋さんにドレスを卸している東京のブライダルメーカーにて、ドレスの型紙を作る「パタンナー」と呼ばれる仕事をしていました。その仕事に携わるなかで「洋服の歴史が長い外国のドレスがきれいなのは、何が違うのだろう」ということが気になって、フランスへ留学したいという気持ちが高まりました。

とはいえ、当時は私を母代わりに育ててくれた祖母の介護があったので、看取るまでは語学を勉強をしながら、コツコツとお金を貯めていました。

━━その後、フランスでは、どのようにすごしていたんでしょう。

岩下 1年間は学生をして、残りの7ヶ月は「スタージュ」と呼ばれる研修制度(インターンシップ)枠で働いていました。

フランスは失業率の高い国ですし、スタージュで受け入れてもらうことも容易ではありません。住所を知っているメゾンにすべて書類を送り、素敵なショーウインドウのお店には飛び込みで売り込みをして、働くチャンスを得ることができました。7ヶ月の間は、舞台や映画の衣装、パリコレのオートクチュールにプレタポルテと、短い期間にぎゅっといろいろな現場を渡り歩いていました。

École de la Chambre Syndicale de la Couture Parisienne の卒業発表会場だった、パリ・ルーブル美術館にて。写真左から2番目

━━では、帰国のきっかけは?

岩下 フランス人=ファッショナブルみたいなイメージがあるけれど、日本人のファッションも素晴らしいと改めて気づかされたんです。そのことを「次世代にも伝えたい」と思い、教員の道を選び、帰国しました。

起業のブースターは、飯田市起業家ビジネスプランコンペの大賞受賞 。「ノウハウも人脈も、惜しみなく教えていただきました」

━━その後、東京でもブランドを立ち上げたご経験もあるそうですが、飯田市での起業とは事情がまったく違ったそうですね。

岩下 はい。一番驚いたのは、起業家に対するサポート体制がすごいということです。飯田市金融政策課に相談してみたら、お金のことから人脈のことまで、きめ細かく教えてくださいました。役に立つセミナーに参加できるチャンスがたくさんあったり、確定申告さえもていねいに指導していただきました。起業のあれこれをどんどん学べるのが、飯田のすごいところだと思います。

ブランド立ち上げをきっかけに制作したパンフレット

━━そこからは、大賞を受賞された「飯田市起業家ビジネスプランコンペティション」参加へと、一気に進んでいった?

岩下 いえいえ、一つずつ教えていただきながら、友人たちの助けもたくさん借りながら、書類を揃えることができました。 

お客様のドレスを製作している時に、コンペの書類選考を進めているさなか、「飯田紬」に出合いました。周りの人に聞くとあまり知られていなくて、調べてみると、地域に根付いた魅力があって。この良さを皆さんに知っていただきたいと思いました。

もちろん、すべての着物をリメイクしなければ、という思いはまったく持っていません。着物は着物として着用するのが一番望ましいかたち。私もなるべくお着物を着て出かけられるように勉強をさせていただいています。しかし、故人が遺され、体型の違いや性別等を理由に着られなかったものなどは、リメイクという形でもう一度、洋服に形を変えて愛用していただくための手助けができたら……と思っています。

━━なるほど、そのままではどうしても使い道がなくなってしまう着物があるのなら、生かしていきたい、という思いなのですね。

岩下 はい。日本のお着物は織り、染め、刺繍……等々すべてが美術品レベルの美しさですから。

そして、オーダーメイドの服づくりは、お客様とともに作り上げていくことができるものです。ドレスにリメイクして残った小さな布も、Tシャツなどにリメイクしてみると素晴らしいアクセントとなり、その美しさを生かしていくことができます。

令和元年度飯田市起業家ビジネスプランコンペティション表彰式の様子(岩下さんは左から2番目)

━━ビジネスプランコンペでは、その後新たな展開も生まれたとか。

岩下 副賞として、飯田市役所のロビーにて展示をさせていただくというお話を伺っているときに、「飯田紬を知っていただくための展示なら、インパクトのある『ドレス』で」と思い、「完成したドレスの隣でドレスが仕上がっていく工程が見られたら面白そう」とひらめいてしまったんです。その場で思いを伝えると、同席していた友人が動画のカメラマンを紹介してくれて、その話を別の友人に話すと「撮影会場はどうするの?」と心配をしてくれて。昼神温泉の『石苔亭いしだ』の女将をご紹介いただきました。

ご縁がつながって、今回のこの、能舞台でのドレス披露という場になりました。

また、動画の中で使用する曲は、筝奏者の大庫こずえさんに楽曲を提供していただき、私にとっては夢物語のような展開です。思えばこれまでも、どんな困難に突き当たってもみなさんが私の活動を応援してくださったおかげです。そのあたたかな励ましが私の今の原動力にもなっています。「良いふくつるの日(11月29日)」に舞台に立たせていただくことを叶えてくださった、すべての方に感謝の気持ちです。

ここで新しい着物の提案を、これからも

━━余談にはなりますが、飯田ではビジネスだけでなく、暮らしもとても楽しまれているそうですね。

岩下 まず、食が豊かですよね。栄養のある野菜が手に入って、旬がわかって、水もおいしくて。お味噌だけでなくしょうゆも手作りしていますし、毎年麹を買う行きつけの麹屋さんもできました。食いしん坊は離れられなくなる街ですよ。

━━おしょうゆも手づくりしているとは。都市部では考えられない環境ですね。

岩下 本当に。素材もなんでも、とにかくおいしいですから。りんごの甘さなんて、今までのものはなんだったの?というくらいです。

子どもへのまなざしもあたたかいから、子育てのストレスもすごく少ないです。

━━ではここで今後、飯田でどのように暮らしていきたいとお考えでしょうか。

岩下 まず、今日のショーでお見せするような着物の展開を、今後も続けていきたいです。これには、再生できるウェディングドレスが当たり前の世界になればとの願いも込められています。

「Ta présence2」でつくるドレスも、兄弟、姉妹で兼用できたり、多少サイズが変わっても長く楽しめるように7号くらいから11号までフリーサイズで着られるドレスも手がけているんです。たとえお着物をそのまま着られなかったとしても、別の形で受け継いで、長く楽しむことができる。そんな着物の付き合い方を、時代やお客様の思いに寄り添うかたちで多様に提案していきたいです。

━━ありがとうございました。

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