クラウドファンディングも活用し、大幅リニューアルを敢行
━━今日は初めて伺いました。飯田の市街からそう遠くないのに、こんなに静かで風情ある一軒宿があったんですね。
山口泰弘さん(以下、山口) ありがとうございます。ここ「湯元 久米川温泉」は1996年に、「湯元ホテル阿智川グループ」の一員として開業しました。もともとここには温泉が湧いていて、皮膚病にいいと湯治をする人もいたという歴史があり、そのお湯を生かして旅館にしたというかたちです。
━━早速ですが、今回どのようなところがリニューアルしたのか、ご案内いただいてもよろしいですか?
山口 どうぞ、まずはこちらのフィットネスジムからご覧ください。
━━わあ。真新しい器具がずらり並んでいますね。
山口 じつはここ、もとは宴会用の大広間だったんです。近年大人数で宴会を行うという温泉宿の利用のされかたが少なくなっていて、ほぼ空きスペースになってしまっていた場所で。そこでクラウドファンディングでみなさまにご協力いただいて、フィットネスルームへと改修しました。
━━こちら器具を使ったフィットネスが介護予防に役立つということでしょうか。
山口 はい。フィットネスジャパンというメーカーに依頼して、高齢者でも安心して使えるものを選んでいただきました。若い人にはちょっと物足りないかもしれませんが、そこは思い切って高齢者目線を重視しています。ご自身の靴と、運動のできるウェアさえ持ってきていただけたら、肩の筋肉を鍛えて転倒したときの骨折を防ぐとか、普段使わない筋肉を使って足腰を鍛えていただくといった運動が日帰り温泉とセットで1000円で何時間でもご利用いただけます。
━━ここにはなんだか、珍しい器具がありますね。
山口 「トレパチ」っていうんです。このように足で漕ぐと玉が出るようになっていまして。
━━面白い! これは普通にトレーニングするよりも長時間できそうですね。
山口 意外と玉が入らないので、夢中になってできますよ。大当たりになるとカードがもらえる、という仕掛けになっています。先日も、75歳以上の方々がグループでいらして、楽しそうにトレーニングされていました。
次は、多目的室をご案内します。こちらも今回新しく改修した場所です。
━━広々したスペースですね。鏡もあって、ダンス教室などにも使えそうです。
山口 ここは、地元でいろいろ教えている先生たちに無料で開放しているんです。参加される生徒さんも、ここの教室に参加したら温泉には無料で入っていただいています。
━━なんと大盤振る舞いな。
山口 でしょう。その代わり、そのレッスンをご宿泊のお客様には無料で参加させてください、ということにしてあります。すでに、ヨガの先生にも定期利用していただいていたり、先日は「福祉ネイル」という、高齢者の方にネイルを楽しんでいただく催しが開催されました。
その他、先日は介護に携わる方々がここで話し合いをしたいという相談があったので、1時間でも今介護で悩んでいる方や、これから介護に向けて心の準備をしたい方たちのために開いた場にして、みなさんの知識を伝えてくださいということにしました。プロなら当たり前に知っていることも、一般の我々は知らないことが多いですから、そういう方達との交流の場ができたらと思ったんです。
━━この「無料開放」というのも、やはり意図があってのことなのでしょうか。
山口 はい。この場所を無料で開放するのは、電気代などを考えればマイナス、という見方もできます。しかし、この宿が活性化し、しかもなにより宿泊者向けのプログラム作りにコストをかけなくてよい、と考えると、私たちのメリットも大きいんです。講師陣を雇わなくても、ここで宿泊者が介護予防や健康づくりに関するプログラムに参加できる、という状態になりますから。
手芸教室で指先を動かすでもいいし、運動でもいいし、プロジェクターもあるのでなにかお話会でもいい。そういう方達にどんどん利用していただくことで、先生たちには新たな活躍の場を作っていただけますし、私たちにとっては「健康づくりや介護に役立つ講座を無料で受けられる宿」という場作りができます。レッスンを行う先生方は、まだまだ募集中で、今後積極的に増やしていきたいです。
“健康長寿”コンセプトの背景にある、祖母の介護経験
━━今回、このような健康長寿・健康づくりに特化したリニューアルに踏み切ったのは、どのような理由があったのでしょうか。
山口 もともと、最初にここ湯元久米川旅館ができたときも当初は保養所としての計画だったということもあり、時代に合わせて断食などといった健康プランは実施してきていたのですが、今回のリニューアルの柱を健康長寿にしようと考えた大きなきっかけは、やはり私の祖母の介護経験からです。
山口 今年6月に亡くなった祖母は約8年前に認知症を発症し、最終的には施設に入所することになりました。原付バイクで通っていた趣味の詩吟を辞めてから、だんだん物忘れがひどくなり、財布を盗まれたというようになってしまったり、転倒がきっかけで車椅子にもなって……。
━━それは……つらいことですね。
山口 ええ。経済的にも、在宅介護にするための環境整備などに1000万近くかかる厳しいものでした。そしてなにより、最後はいっしょに暮らしていた僕のことも「どちらさんでしたかね」という状態になってしまったのが、やっぱり悲しかったですよね。だからこそ、できればみなさんには、しっかりと介護予防をして生きがいを持ち続けて、健康長寿で暮らしていただけたら、それはここ飯田市の活性化にもつながるんじゃないかと思ったんです。
━━ご自分の経験から着想し、「地域のために」と考えたことが、ビジネスの核となった。
山口 はい。今、ご家族が健康な方には想像できないことかもしれませんが、飯田市のホームページを見ると2040年には65歳以上の5人に一人が認知症になると予測されています。しかし、人口の割合から介護施設はもうこれ以上増えないでしょうから入所ができない可能性もあります。たとえ施設に入れたとしても、もしも今後介護保険が2割負担になれば24万円近くの支出になる可能性がある。にもかかわらず、一人がつきっきりで見ていなければいけないとしたら一人しか働けない──。考えたくもないことですがこれは、財政破綻どころか家庭崩壊になってしまいますよね。逆に、少しでも長く健康でいられたら、その恩恵は計り知れないものです。
「広げた風呂敷をまとめてくれた」I-Portのビジネス支援
━━リニューアルのコンセプトと経緯はよくわかりました。とはいえ最初は、現在とはまったく違うかたちのプランだったとか?
山口 そうなんです。最初は、進化した健康ランドのような形にしようと思っていたんですよ。
━━なんと、それはかなり違う形ですね。
山口 ええ。プールも作ろうかなとか、いろんな講師の先生をお金を払って呼んでプログラムを作ろうかなとか、とにかく最初はいろんなことを盛り込みすぎていたんです。しかも、じつは宿泊は労力がかかるのでやめようと思っていて。でも、商工会議所からI-Portを紹介され、相談に乗っていただいているうちに「経験と蓄積がある宿泊業こそ今後も事業の要となる部分」とご指摘をいただき、なるほどと方向転換することができたんです。
━━では、お金の面での支援だけでなく、事業そのものの道筋を立てるためにもI-Portのビジネス支援が役立ったと。
山口 まさにそうです。金利の低い融資を受けられたことはもちろんありがたかったですが、それ以上に「強みは」「本質的にやりたいことは」と、お話をお聞きしながら削ぎ落として考えていくうちに、結局人件費も改修費も身の丈にあったような規模に抑えられて、リニューアル後にやるべきことも明確化していけたのが、なによりよかったです。
そうそう、そのなかでの決断の一つとして、スタッフ全体の働き方改革も実施しましたよ。毎週火曜日を定休日にし、パートさんたちもご飯が食べられたり、フィットネスジムや温泉が自由に利用できるようにしています。働くスタッフのみなさんが健康でいてこそ、この施設が健全に動いていきますし、なにもより説得力が増してきますから。
生きがいを見つけ、通いたくなる場所になれたら
━━いよいよリニューアル後の運営が本格化していきますが、改めてここをどんな場にしていきたいですか?
山口 人生のなかで、趣味や生きがいって大切と言われながらも、そんなに簡単に見つけられるものではないですよね。なにかをはじめてみる、その一歩が踏み出せなかったり。ここでは、その小さな一歩が身近にあって、気楽に取り組めるなにかが見つけられる、そんなお手伝いができたらいいと思っています。
━━たしかに、父や母を連れて来たくなります。
山口 ぜひ。子ども世代がご両親を誘いやすいという意味でも、ここが「日帰り温泉がある宿」というのは強みだと思っているんです。たんに「介護予防で運動しなきゃいけないから行こう」っていうと、抵抗を示す方もいると思うんですが、「温泉行こうよ、運動もできるみたいだよ、こんなプログラムもやってるよ」っていう流れにしてもらえば、すっと入ってもらえるかなと。フィットネスは高校生以上の利用が可能ですから、お孫さんとおばあさん、おじいさんという組み合わせでもぜひ、いらしていただきたいです。
━━ありがとうございました。
湯元久米川温泉
http://www.yumoto-kumegawa.jp
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