長年の願いが実を結び「三遠南信Biz」新創刊

写真=古厩志帆

━━「三遠南信Biz」の創刊、おめでとうございます。南信州、遠州(静岡)、東三河(愛知)の3地域を結ぶ新たな媒体として期待を寄せられている同紙ですが、創刊のきっかけを教えてください。

関谷邦彦社長(以下、関谷) 話は、三遠南信自動車道の構想が発表された30年以上前に遡ります。豊橋市の東日新聞(当時の東海日日新聞)の記者や浜松市の財界の方と話をするなかで「道路の開通は素晴らしいことだが、三遠南信地域のコミュニケーションが取れていないし、取れる手段がない」という話になったんですね。それならば、地域新聞である我々と東日新聞とで力を合わせて何か形になるものができないかと考えはじめたのです。

株式会社南信州新聞社代表取締役 関谷邦彦さん 写真=古厩志帆

━━構想は30年以上前からあったんですね!

関谷 浜松市には地域紙がないため、浜松市に編集室を置いて…などという案も進めていたのですが、なにしろ古い話ですし、様々な事情も重なって、結局その話は立ち消えになってしまいました。

━━なるほど。難しいものですね。

関谷 その間に行政や地域も盛り上がり、1994(平成6)年には「三遠南信サミット」もスタートしました。我々も報道に力を注ぐことで貢献してきたつもりでしたが、サミットでは毎回「3地域が協力して地域の発展のために尽くしましょう」などといい話ができているのに、市民レベルまで浸透していないと感じました。
三遠南信自動車道の開通を間近に控えた今だからこそ、新たな媒体を通じて各所に役立つ情報を発信していきたい。それこそが65年間にわたって地域新聞を発行してきた我々の使命であると考え、創刊に至りました。

━━「創刊準備1号」は、豊橋市で2018(平成30)年10月に開かれた三遠南信サミットに合わせて発行し、会場でも配布されたそうですね。反響はいかがでしたか?

関谷 みなさまからは高い評価とともに様々なご意見もいただきました。その声を反映させながら2019(令和元)年4月の創刊に至った形です。無事に創刊することができたのも、飯田下伊那地域の企業や行政の皆さんが全面的に賛成してくれたからこそ。それがなければ発行できなかったと思います。

━━これまで、県境にはばまれて入手しにくかった情報をまとめて得ることができるという意味でも、価値あるビジネス紙ですね。

関谷 三遠南信自動車の開通を先導する必要不可欠な報道のひとつになればいいと思いますし、開通後、5年、10年経った先にはさらに必要性が高まるはず。まずは全国に先駆けた新たな試みができたと自負しております。

━━今後のビジョンは。

関谷 前にも述べたとおり「使命感」でやっているところがありますから、採算を考えずに…と言いたいところですが、当然ながら制作費、取材費は必要です。スタートしたからには継続することが一大目標。企業や行政のみなさまには、今もご理解をいただいていますが、より一層のご協力をお願いできたらと考えております。

「企業より人」「みんなでつくり育てる」を合言葉に

「三遠南信ビズ」編集長兼記者 河原俊文さん 写真=古厩志帆

━━ここからは、編集長兼記者として発行に携わる河原俊文さんに具体的な話をお伺いします。今回、一般的な情報紙ではなく「ビジネス」に視点を定めた狙いとはなんでしょうか?

河原俊文(以下、河原) 最初は、もっと”ごった煮”的な要素も思い描いていたのですが、「I-Port」の指導を受けるなかで削がれてこの形になりました。歴史を紐解けば、この三遠南信地域は天竜川や豊川などの川筋や谷筋に沿って人々が行き来し、文化や人、ものの交流がありました。そのベースに「商い」があるわけです。かつての「塩の道」が現在の三遠南信自動車道というかたちで蘇るということであれば「ビジネス情報誌」がふさわしいのではないかと考えました。

━━紙面では、三遠南信自動車道の工事状況が掲載されていたり、それぞれの地域の影響力のあるビジネスパーソンのインタビューがあったりと興味深い内容ですね。全体的に「人」にクローズアップした記事が多いように感じます。

河原 必ずしもそうでないところもありますが、商品であれ、事業であれ「人がやっていることであるという視点を持ちなさい」というのは愛知大学の戸田敏行教授が指南してくださいました。正直なところ、この「三遠南信Biz」の立ち上げ、運営にあたっては、どうやって進めていったらいいのか最初は皆目見当がつかなかったんです。そんなとき様々な有識者の方々から助言をいただいて、それらを鍋に入れて出来上がったのがこの新聞です。コンセプトのひとつに「みんなでつくり育てる」という言葉があるのですが、そういう意味でも「言い得て妙」だと感じています。

━━たくさんの力が反映されているんですね。他にも、周囲の意見を受けて工夫されたことはありますか?

河原 インタビュー記事ではプライベートな表情や「どんなことが好きか」という視点もあった方がいいということで、趣味をおたずねしたり、道路行政からは「三遠南信自動車道に対する企業の皆さんからの声を寄せてもらいたい」という意見があり、道路に対する期待や開通後の事業計画などもインタビュー内容に織り込んでいます。こうしたニーズにすぐ対応できるのも小さな媒体ならではのメリットですね。

━━みなさんの思いが深く伝わることで、読み手にとっての必要性も高まりますよね。2度の準備号を経て、2019年4月に創刊されたわけですが、その後の読者の広がりはいかがですか?

河原 いまのところはやはり南信州地域の読者が主ですが、今後は均等な形に広げていきたいですね。行政や商工団体のサミット、しんきんサミット、農業サミットなど大きな単位での周知も図っていく予定ですが、同時に大切にしていきたいのは個々の取材。毛細血管的な細かい要素を伸ばしていくという地道な努力も含め、両輪で充実させていきたいです。

━━取材は、河原さんをはじめ、南信州新聞社のスタッフの皆さんが行っているのでしょうか。

河原 現状はそうですね。印刷、広告も含めて十数人の社員が関わっており、紙面の制作に関しては私を含めて三人の社員で行っています。情報については、三遠南信エリアの媒体として大先輩にあたるNPO法人「三遠南信アミ」の有志のみなさんなど、情報通の方々にも協力をいただいていて、今後は書き手としても参画していただきたいと考えています。

━━そうした「人脈」から得られる情報は特に大切ですよね。

河原 そうですね。三遠南信交流に必要な情報が短時間でわかる「月刊ニュースダイジェスト」というコーナーには、豊橋市の「東日新聞」にも協力をいただいており、どちらも我々の力だけでは決して得ることができない情報ばかりです。今後は、静岡方面の媒体や報道機関にも協力をお願いしていきたいですね。

━━県境を越えての取材という面で、ご苦労されたことはありますか?

河原 地元では「南信州新聞」の看板を背負っていれば、ほぼ知らない人はいないため説明なく取材できますが、他県ではそういうわけにはいきません。媒体の説明からはじめて取材させてもらうのが少し大変かもしれませんね。ただ、思ったよりスムーズに受けて入れてくださっているイメージはあります。

写真=古厩志帆

━━従来にはない新たなことに取り組んでいるという手応えは感じますか。

河原 足を運んで関係を構築した商工会の方から「今度、イベントを開催するから資料を読んでおいて」と頼まれたり、「新野の道の駅と浜松の商工会議所の商談会をやるから取材してほしい」と依頼されたり。他の媒体ではなく「三遠南信Bizに」というアプローチが増えているのがうれしいです。

━━「三遠南信Biz」だからこそ載せる価値がある、と考えてくださっているんですね。

河原 また、同じ号に記事が掲載されたことをきっかけに、つながりのなかった道の駅が共同でイベントを開催したり、「飯田でマルシェを開くので浜松の業者さんを紹介してほしい」と依頼されて、浜松商工会議所を通じて浜松餃子のお店の方を招いたりと、実際に形になったこともあります。

━━情報発信だけではなく、そういう効果もあるんですね!

河原 これも小さな媒体ならではの効果ですよね。自分たちの利益だけではなく、周囲の役に立てることも喜びのひとつです。ありていに言えば「利他の精神」ですが、三遠南信っぽくいうと「竜宮小僧」※でしょうか。そんな風に役立つ存在でありたいですし、それこそが地域紙の生き方ではないかと体感しています。
※竜宮小僧…NHK大河ドラマ「女城主直虎」にも登場した伝説の少年。村人が困っているとどこからともなく現れて手助けする存在で、死後も亡骸を埋めた場所から水が湧き、村に大きな恵みをもたらしたという。

「10分で三遠南信の10年先が見える」の言葉に込めた思い

━━「I-Port」に申請された理由やきっかけはどういったところにあったのでしょうか。

河原 まだ原案しかなかった状態のとき、飯田市政を担当していた同僚が薦めてくれたんです。当時はまだいろいろなことに迷っていたので、ダメもとで相談に行ったところ、当時の課長さんが「直感でいけます」と言ってくださった。課長さんは奥様が浜松のご出身で「私も飯田と浜松を行き来している人間ですから」とおっしゃっていて、そういう方が「いけます」と言ってくれたのが本当に心強かったんです。その言葉を心の支えにしてスタートしたようなものでしたね。

━━「I-Port」に認定されたことでよかったことはありますか。

河原 担当者の方が「出張のお土産に」と買ってきてくださった他県の地域新聞が「三遠南信Biz」のベースを作る際にとても役立ちました。また、当紙が掲げている「月1回の10分で三遠南信の10年先が見える」というキャッチフレーズも「I-Port」での指導を受けて、試行錯誤のうえに考え出したものです。

━━読者の目線として「この新聞を読むとどんなメリットがあるんだろう」という部分を明確に表しているキャッチフレーズですよね。

河原 私自身も毎日、地元新聞と豊橋の新聞、静岡の新聞、経済新聞など多くの新聞に目を通していますが、仕事のために読むとなると苦痛な日もあるんですね。だから「月1回の10分で10年先が見える」というのは自分にとっても魅力だなと。

━━ターゲットである企業や行政の方々にとっても時間は貴重ですから「10分で見える」というのはいいですよね。私も読んでおきたいです。

河原 「こんなのがあったらいいな」という、いわゆるドラえもん的な発想ですよね。

写真=古厩志帆

「新聞」という媒体の新たな可能性に挑みたい

━━みなさんの協力を得て好スタートを切った「三遠南信Biz」ですが、これからの課題はありますか。

河原 現在は、最小限のユニットで制作を進めていますが、いずれはスタッフを増やして発行できる体制を作りたいですね。また、以前から「I-Port」の方に助言をいただいているのですが、購読の特典として「実際に人に会って話を聞ける」という仕組みを考えていて、可能な限り実現する方向に持っていきたいです。

━━「会えるアイドル」ならぬ、「会える新聞」ですね!

河原 掲載された取材対象の方に「会える」、または「限定の動画が見られる」など、購読者だけの特典を設けることで購読することの価値を高めていきたいです。また、ホームページも、今は「ある」だけの状態ですが、当然ながら今後は紙とデジタルの融合も図っていかなければいけないと考えています。

━━新聞業界を取り巻く環境が変化し、厳しい状況にあると言われる中で、歴史ある新聞社が、新たな媒体をスタートしたというところにも、強いチャレンジ精神を感じます。そうした中で、河原さんが描く未来はどういったものでしょうか。

河原 現在は南信州新聞があるから「Biz」があるという形ですが、将来的には「あの三遠南信Bizのベースになっているのが南信州新聞なんだね」と言われるようになれたらいいなと思っています。また、新聞という業界は、そもそも慎重で新しいことに挑戦しづらい部分はあるのですが、失うものがない新たな媒体が思い切ったことをやれば、ある意味で先陣を切ることができる。それが自社の中でできるのは幸せなことですよね。企業内企業としての挑戦を楽しみながら、新聞の新しい形を提示していきたいです。

「地域とともに今を見つめ 南信州の明るい未来を創る」をスローガンに、日々業務に励む編集局のみなさん 写真=古厩志帆

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