小さな行動を積み重ね、一心に情熱を注ぐこと

飯田市内から車で約1時間。いくつもの山を超え辿り着くのが、信州の三大秘境とも言われる遠山郷だ。豊かな自然に囲まれた遠山郷は絶景だけではなく、独特の文化やグルメが残っており、県外からのお客さんも多いと言う。

そんな遠山郷のシンボルとなっているのが、「道の駅 遠山郷」に併設された「かぐらの湯」だ。今回、開店前にお伺いすると、牧内さんやスタッフの皆さんが、温かい笑顔で迎え入れてくれた。

「かぐらの湯」スタッフの皆さま 写真=佐々木健太

━━本日はよろしくお願いします。木の温もりが感じられる、とても綺麗で大きな施設ですね。牧内さんは、現在「かぐらの湯」の支配人とのことですが、ここに至るまでにどのような背景があったのでしょうか。

牧内厚達さん(以下、牧内) ここは今年で20周年ですが、スタッフが丁寧に仕事をしてくれているおかげで綺麗なんですよ。俺は今年から支配人になったんだけど、それまでは「かぐらの湯」の食事処「ゆ〜楽」で料理長をしていました。板前の世界に入ったのは18歳からですね。

出身は飯田市です。学生時代は…まともに学校には行ってなかったけど(笑)、ずっと市内にいました。なので、最初に遠山郷に来たときは驚きましたよ、あまりの遠さに(笑)。ここに来たのは今から6年くらい前です。

━━飯田市のご出身なのですね。どのようなきっかけで遠山郷に来たのでしょうか?

牧内 前々の支配人に「かぐらの湯」を立て直してほしいってことで依頼がきたんです。食事処「ゆ〜楽」を盛り上げて、売上げを上げたいと。

こんな山奥で本当に客が来るのか?って思いもあったけど、何事もはじめてみないとわからないから。やれるだけやってダメなら引くくらいの気持ちで来ました。今はおかげさまで、過去五年間で最高の売上げをあげています。

写真=佐々木健太

━━過去五年間で最高の売上げに! どのようなことを心がけたのでしょうか。

牧内 常に「どうしたらお客さんに喜んでもらえるか?」を考え続けてきたことかなと思う。昨年末から提供をはじめた「神ふぐ」もそのひとつ。とにかく「やってみよう!」と思ったことを小さく積み重ねていく。自分で考えて行動することは、癖みたいなもんだけど。

ここのスタッフにも、一人一人が経営者のつもりで自分で考えて行動してほしいって言ってるんです。失敗したら俺が責任取るからって。
━━スタッフの皆さんと一丸になり、行動を積み重ねてきた結果ですね。先ほどの神ふぐに関してですが、当時、絶対に成功しないと言われていた中で、ふぐの養殖を引き継いだとお伺いしたのですが、スタッフや周りの方の反応はどうでしたか? 当時の心境をお伺いできますでしょうか。

牧内 周りはみんな辞めろの一点張りでしたね(笑)。

写真=佐々木健太

牧内 でもまあ、結果を残せていない中で、人が変わって誰ができるの?って思いますよね。ただ偶然にも、俺はもともと魚が好きなんです。大きな水槽を8本くらい置いて大型魚を飼ったり、趣味でヤマメの養殖をしたこともあるくらい。と言っても、ふぐの養殖はゼロからのスタート。生き物を育てるのはそんなに甘くないこともわかっていました。

━━そんな中、チャレンジしようと思った理由はなにかあったのでしょうか。

牧内 純粋に生き物が好きだから。あとは、俺が料理人だからかな。

━━料理人だから…?

牧内 自分で育てた食材を自分で料理して、自分で提供できる…こんなに素晴らしいことはないと思っているんです。料理人冥利に尽きる。自分で育てて自分で命をいただくからこそ、最高に美味しいふぐを提供するために、愛情を持って育てられると思っています。

━━なるほど…。魚が好きであること、料理人であることなど、様々な要因が重なり合い、ふぐの養殖が順調に進んだのですね。

牧内 いやいや、全然だよ。壁にぶつかることばかり。でもね、なぜこの養殖が成功したのか?って言われると、答えは簡単。情熱をかけたからなんです。どれだけその生き物に対して、情熱をかけられるかが重要だと思っています。

写真=佐々木健太

━━ふぐの養殖に成功したのは長野県ではここだけとお聞きしました。無謀だと言われていた中で果敢にチャレンジし、成功した要因は「情熱」をかけたから…?

牧内 そう、みんな無理だって決めつけているだけ。その無理って、自分で限界を決めているわけでしょ? だけど、自分で決めた限界の先にはまだあるんだわ、本当は。人間はセーブする生き物だからね。成功の秘訣や理由をよく聞かれるんだけど、ただやるだけ。行動し続けられるかどうかだと思っています。これが情熱をかけるってことだと思う。

俺も最初はYouTube見ながら研究したり、勉強したり、真似したり、ひとつずつ実験してきたんです。だからやる前から無理っていう奴は嫌い。やってもないのに何がわかるの?って。やって失敗したらやめればいい。

━━小さな行動の積み重ねが振り返ると大きな結果に繋がっていると。特に生き物相手だと、いかに愛情を注げるかが重要になりそうですね。

牧内 うちの神ふぐたちは、水槽に顔を出すと寄ってくるんですよ。俺に懐いているから。かわいいでしょ?  1匹1匹の魚の顔を見て、毎日観察していれば、あの子は調子が悪いのかな?ご飯食べたいのかな?とか、わかるんです。

━━魚が人に懐くとは知りませんでした。その水槽を見せていただくことはできますか?

牧内 もちろん。前までは結構閉鎖的にやっていたんですが、今ではお客さんにもオープンにしています。ふぐの世話も「かぐらの湯」のスタッフみんなで育てるようにしているんです。料理も運営もすべてひとりでやらずに、みんなで作り上げたいと思っています。だから、ふぐの養殖も俺ひとりの成功じゃない。そう思っています。

徹夜で神ふぐを守った、停電の日。困難を乗り越え、切り拓いた道

「かぐらの湯」から徒歩1分。大きな4つの水槽やポンプが並んでいる養殖場には、2週間前に来たばかりの稚魚が300匹ほど元気に泳いでいます。

写真=佐々木健太

━━ここは養殖場ならではの魚の臭いが全くないですね。水槽の水も綺麗で驚きました。

牧内 ここは、温泉水が豊富にあるからね。今は2日に1回、3分の1ずつ水を交換しています。だからこの水、舐めても問題ないですよ。それくらい綺麗です。すごい透明度でしょ? でもこれくらい綺麗な水で育った魚じゃないと、食べたくないよね。

━━たしかに…。牧内さんが水槽に顔を出すと、ふぐたちが喜んでいるのがわかります。私が顔を出すだけでも寄ってきますね。かわいい…。よく見ると同じ稚魚でも大きさが違うようにも見えます。

写真=佐々木健太

牧内 そう! 同じ魚でもよく食べる子、食べない子がいて上下関係があるんです。普通、養殖業は給餌量が決まっていて、それに合わせてパーっと水槽に餌まいて終わりのところが多いけど、うちはちゃんと一匹ずつ魚の顔をみながら餌を調整しています。だから餌やりも声をかけながら、20分くらいかけることもあるよ。

特に稚魚は環境の変化に敏感だからね。この稚魚たちはまだここに来て2週間くらい。やっとこの環境に慣れてきたかな。

写真=佐々木健太

━━今でこそ、ふぐたちものびのびと快適に暮らしていると思いますが、ここに至るまでどのような苦労があったのでしょうか。

牧内 いろいろあるけど、一番苦労したのは停電したときかな。2017年9月に10時間くらい停電したことがあったんですよ。あのときは徹夜でこの子たちを守っていました。

━━徹夜でここに…!?  電気が止まってしまってしまうとどのようなことが起こるのでしょうか?

牧内 電気が止まると酸欠で死んでしまうんです。陸上養殖で一番重要なのは電気。ポンプで水を組み上げて巡回させないと水が止まり、水が巡回できないとふぐが酸欠になってしまうので、もう必死ですよ。

地域の皆さんから発電機をお借りして、こっちの発電機を回してあっちの発電機を回して、寝る間を惜しんでポンプを回し続けていました。結局、半数以上が酸欠で死んでしまったのだけど…。天災に備えた、電気供給の仕組み作りという今後の課題も見えてきました。

写真=佐々木健太

━━そんな苦労があったとは…。

牧内 俺も口じゃ強そうなこと言うんだけど、本当は散々悩んで、寝れない日もあったし、胃が痛くなることもあった。本当はできなかったらどうしようって怖くなることもたくさんあったね。

やっぱり海の魚を温泉水で飼うリスクはすごく高い。魚とは話もできないし、今日の泳ぎ方がこうだった、とかひとつひとつ観察しながらデータを蓄積する繰り返し。ほんと地味だよね、全然かっこよくない。

歴代の子たちには申し訳ないと思うときもあるけれど、養殖をはじめて3年目にして、ようやく稚魚の扱いもわかるようになって、良い生活をさせてあげられてるって思えるようになってきたんです。みんな元気そうに泳いでいるでしょ?

写真=佐々木健太

「ふぐの養殖」成功は、夢への第一歩

━━牧内さんの情熱と神ふぐへの愛情がとてもよく伝わってきます。ただ、これだけの規模の養殖場になると、管理するだけでも経費がかかりそうです。この「かぐらの湯」は飯田市の一般財団法人 飯田市南信濃振興公社が運営しているとお伺いしましたが、ふぐの養殖に関してはどうされていたのでしょうか?

牧内 ふぐの養殖に関しては、公的な補助金を受けてコンクリート製の水槽2基を整備したり、飯田市には資金面でサポートいただきながらここまでやってこれました。

それに、最初はものすごく経費がかかりましたね。ただ、少しずつやり方を変えていらないものを削り、採算が取れるように、お金をかけずにいかに上手に育てられるか、を模索しました。例えば、1日の給餌量を測ってあげるんじゃなくて、魚たちが食べたい必要な分だけあげるとか。

写真=佐々木健太

牧内 本当はここだけの売上げで運営していきたいっていう本音もあるけど、これだけ大きな施設を運営していくには莫大なお金がかかるんです。

なのでこちらでは、いかに売上げを伸ばしお客様に愛され、喜んでいただける施設にするかを考えるようにしています。こうして定期的に市の職員の方ともお話できたりサポートしていただけるのもありがたいですね。

━━先ほど、過去五年間で最高の売上げだったとのお話もありましたが、神ふぐの提供をはじめて1年目。お客様の反響はどうでしたか?

牧内 今はもう提供できるすべての神ふぐをお客様に食していただき、現時点で今年もまたやるんでしょ? って12月に予約が入ってくる状況です。あとは、神ふぐを目当てに「冬」に足を運んでくれるのも特徴だと思っています。どこの観光地も、12月から3月までは一番暇なんですよ。そんな時期にわざわざ訪れてくれるのはありがたいですよね。

写真提供=かぐらの湯

牧内 でもやっとこれではじまったばかり。2年、3年と続けられて、ようやく周りの方も認めてくれるのかなと思ってます。多くのメディアに取り上げていただいたのもありがたいですが、1年目は比較的注目されやすいんです。大事なのは、2年目からだと思っています。

━━2年目からはどのようなことを考えているのでしょうか?今後の展望をお聞かせください。

牧内 詳細は言えないけど、実は今、違う魚も育てていたり、次の展開は考えています。ふぐばかり出しても飽きちゃうでしょ? また違うものにも挑戦し、研究していきたいですね。

写真=佐々木健太

牧内 夢は最終的にここを水族館にすることです。自分たちで育てた魚をみんなに見てもらい、最高に美味しく食べていただく。大きな目標だけどね。そのためにもまずは地域の人や飯田市にも認めてもらえるように、実績を積み重ねていくことが大事かなと思っています。

「かぐらの湯」に行ったら面白いぞ!というものを作りたいですね。ふぐ養殖の成功は夢への通過点です。「かぐらの湯」はダイヤの原石なので、磨けば光るし、もっといろんな人にも知ってもらいたいですね。

━━「かぐらの湯」が水族館に。考えるだけでわくわくしてきました。最後にここ、遠山郷の可能性についてお伺いできますでしょうか?

写真=佐々木健太

牧内 今ここは、県外からのお客さんが6~7割。飯田市内でも、ここまで県外からの観光客が来るところはないと思います。自然もまだまだ残っているし、それぞれの遠山郷の観光地が連携して発信力を高めていけば、可能性だらけ。出る杭は打たれやすいんだけど(笑)、出てくるってことはそれだけ伸び代があるってことだからね。

牧内 あとはこの町も今より若い人が増えれば、変わると思っています。若い人にも魅力的な町に見えるように結果を出し続けないとね。

まあ、ここまで48年間いろいろあったけど、今が一番楽しいね。職場に行くことも、神ふぐに会えることも、毎日楽しい。不思議な場所だよ、ここは。ぜひ、足を運んでみてほしいね。それくらいいい場所なんだ。

写真=佐々木健太

【お問い合わせ】
遠山温泉郷かぐらの湯

電話 0260-34-5455
予約受付時間
月~金(木曜除く)11:00~14:00/17:00~19:00
土日 11:00~19:00

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