発想の原点は小倉トースト。
パウチで使いやすいよう、あんも改良
━━まずは「あんMarche’」誕生おめでとうございます。
小西進さん(以下小西):まだ、完全にはできあがっていないのですが、だいぶかたちになってきました。
━━使う分だけ絞り出すスパウトパウチ型のあんこ、今までなかったのが不思議なくらい使いやすそうで、発売が今からとても楽しみです。
小西:ありがとうございます。発想の元は、飯田から一番近い大都市である名古屋の「小倉トースト」です。和菓子に馴染みがあまりない若い世代にも「あん」を楽しんでもらえる商品をとの思いで開発しました。
━━たしかに、小倉トーストのように少しずつ使うのにぴったりですね!
小西:はい。でもなぜこうした形状が今までなかったかというと、この容器で使いやすいあんこを作るのが、見た目以上に難しいからなんです。
━━難しい、というのは?
小西:よくスーパーマーケットなどに置いてある、ビニールのパック入りの加糖あんは、これよりもずっと水分を抜いてあって、もったりとしていますよね。あれなら簡単に作ることができますが、あの状態ではパウチに入れても口から出てこない。しかし、単純に水分を増やしてやわらかくしたら日持ちしないし、なによりしばらく置くと水とあんが分離してしまうんです。
そこで私たちは試作を繰り返し、なめらかに絞れて分離しないあんこを一から開発しました。
━━美しい白が目を引く「豆腐あん」も魅力的です。
小西:これが今回一番の自信作なのですが、理想の色や食感を出すのが難しくて。これもかなり、試行錯誤を繰り返しています。
━━中身は、白あんと豆腐ですか?
小西:はい。地元・伊那谷の豆腐メーカーから、豆腐あん専用の豆腐を仕入れて製造しています。これも最初は「やってみようよ」という商品開発アドバイザーの方の言葉を受けて気軽に取り組んでみたのですが、よく考えたら同じ豆でも豆腐はたんぱく、白あんはでんぷんでしょう。これ、水と油と同じこと。なめらかで美しい白あんにするために、今でも苦労しているほどです。
━━なるほど……、ふつうのあんこよりも、さらに混ざりづらいわけですね。
小西:でもね、やってみたら、これがおいしいんですよ。(笑) とくにモナカとの相性が抜群で。白い見た目もインパクトがあるし、これはなんとしても成功させたいと、仕入れる豆腐の状態からあんの割合まで、試作を繰り返しました。やっと、成功が見えてきましたが、ラインにのせていくまでにはもう少し努力が必要だと思っています。(取材は2018年12月)
なぜ? 飯田のあんこが安い理由
━━そもそも、この「あんMarche’」シリーズ開発のきっかけはなんだったのでしょう。
小西:私たち「製あん所」のそもそもの仕事は、「生あん」と呼ばれる砂糖を加える前のあんを作って、和菓子屋さんやお菓子メーカーさんに納めることです。おかげさまで忙しくさせてもらっていますが、生あんは砂糖が入っていないぶん日持ちがしないので、商圏を遠方に広げづらいんです。加えて、あんを収めるお取引先様の繁閑に連動して忙しさに波があるのが難点で。どうにか、受け身的な経営に甘んじず、自社で発信していける商品をと考えたのがきっかけです。
━━なるほど。日本のお菓子文化のなかで大切な役割でありながら、生あんだけでは事業の難しさもお感じになっていたんですね。
小西:保健所の許可も、菓子製造とは別に「あん類製造業」という特別な許可が必要なあるくらい、一つ独立して認められた仕事です。昔は大きな街には製あん所がかならずあって、街の和菓子屋さんを支えていたんですよ。しかも、だいたい冬場に一気に仕事をして、あとは遊んでいるような感じで。
━━そんなに優雅な働き方だったんですか!
小西:時代がのんびりしていたというのもありますし、そもそも和菓子というのは季節感があるお菓子で、あんこはだいたい冬のものでしたから。
それが今では、流通菓子が主流になって、一年中同じお菓子を食べるようになったでしょう。
━━たしかに、一部のものをのぞいて、いつでも同じものが食べられますね。
小西:それと並行して、あんこが価格競争の時代に突入し、どんどん薄利多売の傾向が強くなってきました。うちも今、親父の時代より生産量は倍くらいまで増えていますが、利益率はうんと落ちましたよ。
また、「飯田のあんこは安い」という事情もあるんです。
━━なぜ、飯田のあんこは安いんですか? 産地がある……わけでもないですよね。
小西:いやいや、今から40年くらい前、名古屋のあんこ屋さんがここに参入してきて、こっちの半生菓子屋さんにうんと安い値段で生あんを卸したんですよ。それにならって飯田のあんこ屋も値段下げろって言われて仕方なく下げた。そうしたら、名古屋の方が手を引いて帰っちゃって。結局、(安い)値段だけおいていっちゃったんです。
━━そんなことが……!
小西:そう、同じあんこでも松本なら飯田の1.5倍から2倍の価格。長野まで行くとそこからさらに2倍くらいで商売しているようです。それでも、生あんは日持ちの関係で遠くまで運べないからこちらから売りにいくわけにはいかない。冷凍はできないことはないけれど、送料を考えたらほとんどメリットがなくなってしまうため、やはり生あんの事業拡大は難しいんです。
ここ10年ほど「生あん以外の商品を」という構想はあったのですが、とにかく仕事が忙しくてそこまで手が回らなくて。それが、一昨年の10月に私が手術で長期間入院をすることになり、それを機会に現場は息子(良介さん)に任せてだんだん退くことにしたんです。
━━ご病気されたことが、逆にターニングポイントになった。
小西:そう、そのときから私が営業や開発に携われているので。これも、よかったといえばよい機会だったのかもしれません。
柔軟な対応とたしかな技術で
生あん事業も引き続き、着実に
━━生あん製造の世界でも、御社は地域の名だたる菓子メーカーともお取り引きされていて、ご活躍です。支持されている理由はどこにあるとお考えですか?
小西:(謙遜しながら)いや、あんこなんてどこでやっても変わらないと思うんだけど……。メーカーさんによって希望する豆の配合は違うので、うちはできる限りきめ細かなレシピに対応する柔軟性はあるかもしれません。
また、豆の質も年によって変化があったり、時代とともにそれまで使っていた豆も手に入りづらくなることがありますが、私たちは「仕入れた豆の品質に応じて味を安定させる」という技術は養ってきたと思っています。
━━なるほど。今までさまざまな菓子メーカーの要望に応えながら培ってきた技術や応用力が、今回の「あんMarche’」完成につながっているんですね。
━━お仕事は、夜中から朝にかけて行われるとか。
小西:これまでは私も、夜中12時に目覚ましをかけて、1時ごろから工場に入り、明け方まであん作りに追われていました。
お菓子メーカーさんの受け入れ時間が朝5時ぐらいなのがもう、業界の慣習的になっているので、自然と私たちもこの時間帯になるんです。
━━では、仕事が終わるのは朝7時ごろでしょうか?
小西:いえいえ、作ったあんを積み込んだり、掃除したり。休憩を挟みながらですが工場の仕事だけでも昼までかかるんですよ。
━━それは……! 途方もないほど、長丁場で過酷なお仕事なんですね。
小西:大変な仕事ではありますが、私たち製あん所はここ南信州のさまざまな菓子メーカーさんといっしょに歩んで来た、という思いはあります。今からではとてもお付き合いいただけないくらい、大きなお菓子メーカーさんに成長されたところもあるけれど、「それは、俺たちの生あんが安いからだぞ」、なんてね(笑)。
せっかくここまで来たからこそ、きちんと次世代につないでいきたい。今はそんな思いでいます。
後継者は26歳。
「まずは目の前の仕事を覚えることからです」
━━後継者となる良介さんは、いつからこちらで働くようになったのですか。
小西良介さん(以下、小西(良)): 4年前です。以前は、軽井沢のアパレルショップで働いていました。辞めようかと考えていたときに、父(小西進社長)から、「やってみないか」という話があって……。
小西:じつはね、ある大きな取引先の菓子メーカーさんが「小西さんところは後継者いるのか、大丈夫なのか」って心配しているという声を、金融機関さんを通して聞いたんですよ。うちは兄が会長で、いっしょに仕事をしているので「じゃあ、お互いの息子に聞いてみよう」っていう話になって。兄のところはダメだったんだけど、こっち(良介さん)が、ちょうど来たいっていう話になってね(笑)。
━━絶妙なタイミングだったんですね。良介さん、仕事の時間帯などは大きく変わったと思いますが、すぐに慣れましたか?
小西(良):子どものころから働き始めるまで、この製あん所には一度も、足を踏み入れたことすらなかったんです。けれど、働いてみたら意外と時間帯にはすんなり慣れました。ただ、仕事はまだまだ、一部を引き継いだだけなので、これから少しずつ他の工程も含めて学んでいくところです。
━━軽井沢から飯田に戻って来ていかがですか?
小西(良):生まれた場所なのですごく暮らしやすいですね。妻も飯田出身なので、休日は地元でゆっくり過ごしています。そういう(私生活の)面でも、戻ってきてよかったと思っています。
━━これからの目標は?
小西(良):僕は本当に、今目の前の仕事を覚えることが第一だと思っています。
小西:私は従来の仕事を着実に引き継ぎながら、誕生した「あんMarche’」を多くの方に楽しんでいただけたらと思っています。
━━これからの展開を楽しみにしています。ありがとうございました。