「場のにぎわいづくりとは?」。
コミュニティまわりを考える

少しずつ寒さが身にしみるようになってきた、2018年11月の飯田市・八幡町。雨もパラつくあいにくの雨模様にも関わらず、会場であるYamairo ゲストハウスのお座敷には、定刻を前に30名を越す人々がひしめきあいました。

築200年の古民家の風情を残しながら、居心地のよい空間へとリノベーションされたYamairo ゲストハウス。そのなかでもひときわ印象的な赤色の壁にプロジェクターを投影し、それを囲んで座る本日の登壇者4名。

まずは、「ハジメマシテ」の自己紹介でスタートです。

湯澤英俊さん(以下、湯澤) 今日は足元の悪いなか、ようこそお集まりいただきました。私は飯田市役所の湯澤といいます、よろしくお願いします。

高橋歩さん(以下、高橋) こんばんは、高橋歩といいます。飯田市出身で、現在は軽井沢に暮らしています。僕は飯田市の市街地から車で1時間ぐらいの遠山郷というエリアに15歳から通っていて、現在はこの場所で仲間と暮らし体験型のシェアハウスをやっています。

熊谷賢輔さん(以下、熊谷) はじまり商店街の熊谷です。ここにいる彼(柴田さん)と一緒に、今年の8月に創業したばかりの会社をやっています。企業さんや行政さんなど、いろいろなところから依頼を受けて、場のにぎわいづくりをするのが僕たちの仕事です。

今回のイベントのきっかけとなったのは、日本橋で僕たちが運営していたイベントスペースBETTARA STANDというところで、3月に湯澤さんとイベントを開催したことでした。そうしたご縁で今回、こちらに来る機会がありましたので、ぜひいっしょにやりましょう、と共催させていただくことになりました。今日はみなさんになにか、持って帰っていただけるようなお話ができたらと思っています、よろしくお願いします。

柴田大輔さん(以下、柴田) こんばんは、はじまり商店街の柴田と申します。だいたいの自己紹介は、熊ちゃんが言ってくれたから……、なに話そうかな。

熊谷 最近ハマってることはなんですか?

柴田 えっ? 銭湯、ですね。

熊谷 それ、昼間に俺が言ったやつだから、違うやつを(笑)。

柴田 そう?(笑) じゃあ、散歩かなあ。仕事柄、町歩きのイベントをすることも多くて、あちこち歩かせていただくんですが、今日も飯田に午後3時ごろ到着して、ご案内いただいて歩いていると、「おっ、この物件使いたいなあ!」とか、瞬間的に反応してしまいますね。そんなことや、コミュニティまわりで普段自分が考えていることなど、今日はお話できればと思っています。よろしくお願いします。

左から熊谷賢輔さん、右・柴田大輔さん(いずれも「株式会社はじまり商店街」共同代表)写真=古厩志帆

 

湯澤 今日は、2時間30分ぐらい歩きましたね。りんご並木や、川本喜八郎美術館や、裏界線も。最後には裏山しいちゃんにも寄りました。

 

飯田の街を歩く柴田さん(写真左)、熊谷さん(写真右) 写真提供=はじまり商店街

熊谷 面白かった、大満足ですね。

湯澤 ちなみに今日、飯田やこの周辺からいらしている方はどれくらいいますか?

(会場の多くが挙手)

熊谷 あ、ほとんどですね!

湯澤 そうすると今さら、かもしれませんが、お二人に向けてという意味でもこの「場」の紹介として、最初に飯田の歴史について少し、お話できたらと思うんですが。

柴田&熊谷:ぜひお願いします。

 

導入としての飯田・歴史紹介。
「災害がにぎわいの原動力に」


こうして、飯田市役所職員である湯澤さんから、飯田という「場」の背景についてご紹介いただく流れに。
飯田には、街の歴史を語るうえで欠かすことのできない、悲劇であり転換点でもあるいくつかの災害があったと言います。


 

写真=古厩志帆

湯澤 お二人をご案内するにあたりまず、昭和22年に起きた大火の話をさせてもらいました。日本三大大火の一つと言われる「飯田市大火※」は、飯田市役所の付近から発生して、あと言う間に町中に広まったそうです。そこからの復興の歴史を知らないと、なぜ「裏界線(りかいせん)」という路地ができたかもわからないんですね。

でも歩いたあの路地、いい雰囲気だったでしょう?

※飯田市大火・・・昭和22年4月20日に発生した大火災。城下町の古い面影を残す市街地の3分の2近くを焼失させ、焼失戸数 3,577戸、罹災人口17,800人と甚大な被害をもたらした(https://www.city.iida.lg.jp/soshiki/16/jousuirekishi03.html

柴田 いや、魅力的ですよね。

熊谷 小さくなにかビジネスを始めるのに、ちょうどよさそうな感じのエリアでした。

湯澤 裏界線は、この昭和の大火を教訓として、建物の持ち主双方が土地を出し合ってできた裏道です。この道が、防火帯や避難路、そして消防活動のための通路として機能しながら、風情ある独特の街並みを形成してきたんです。

 

「飯田市裏界線ホームページ」。暮らしの営みの空気が感じられる路地の雰囲気にはファンも多く、飯田の街に魅力を添える要素の一つとなっている

 

湯澤 次に、りんご並木に行きました。到着して、最初に柴田さん言ったでしょう、「これ、盗る人いないんですか?」って。(笑)

柴田 いや、危なかったですよね正直。ちょっと確認しようかなって触ろうとしたんですけど……。

熊谷 もちろんとっちゃダメですよ!(笑)

湯澤 (笑)。これ、よく市長が話をするんですが、盗ったらもうこの街には入れない、いや、この街から出られない? ですね。それくらい、飯田の人々にとって大切な存在で。

じつはこれも、復興のシンボルなんです。大火のあと復興を進める中で、地元の中学生からの提案で始まったのですが、最初は「りんごを植えてどうするの」とか、それこそ「盗られるでしょう」っていうことで行政からも反対されたそうです。でも、中学生たちの強い思いで実現した。

ただ、実際には最初、盗まれたんです。その時に、柵をつけようとか、対策をする話も出たそうです。けれど、中学生たちの発想は、盗られないようにじゃなく、「誰もりんごを盗まないような街にしていこう」ということで、なにもしなかったんですね。もうそれからは、盗る人は出ていませんね。

熊谷 なるほど。

湯澤 このりんご並木の周りは現在、月1回歩行者天国になっていて、露店が出たりイベントがあったりとにぎわいの場の一つになっています。しかも、この並木道はパブリックな存在ですが、ここでイベントをやりたいという人のための窓口は、並木沿いにあるお店の方が、有志で団体を作ってやっているんです。

最後に、詳しくは割愛しますが地域ごとの「公民館運動」も飯田を語る上で重要な地域活動です。

とにかく、「自分たちのことは自分でやろう」という気質が、飯田市のいたるところに生きている。しかもその気質は、自然発生的というよりも、先ほどの大火や、もう一つの災害の要因である天竜川の氾濫といった困難を乗り越えようと一致団結した、復興の結果でもある。だから、一般的なコミュニティとかにぎわいづくりといったものとはまた違った、もう少し切実な背景をもっているということを、最初にみなさんと共有したいと思いました。

 

信頼関係を起点に
山暮らしの楽しさを共有する
遠山郷「COM(M)PASS HOUSE」


厳しい自然環境や、災害による被害に立ち向かい、復興する過程で自主自立の精神を育んできた飯田の人々。湯澤さんからのお話で、悲劇を受け止め、それを転機として人と人との連携の大切さを身につけて来たこの土地の風土を、参加者全体で共有することができました。これは、のちに語られる、「“場”づくりとは」、「コミュニティとは」といった話につながっていったように感じます(後編までお楽しみに)。


次に、そんな飯田のなかで、新たなムーブメントとして注目を集める若手世代から、今回の会場であるYamairoゲストハウスの中村瑞季さん、そして山暮らしカンパニーの高橋歩さんから、それぞれの取り組みや思いを語っていただくことになりました。

湯澤 では、今日はにぎわい作りの話ということで、会場であるYamairoゲストハウスの中村さん、ちょっとだけ紹介をお願いできますか。

中村瑞季さん(以下中村) こんばんは、Yamairoゲストハウスオーナーの中村です。今年の5月末からスタートして、5ヶ月ぐらい運営しています。飯田には、なかなか宿泊と飲食がついているゲストハウスというものがなかったなかで、何もかもはじめてづくしのなかで始めて、一年後はどうなっているのか想像もつかないぐらいですが、いまは予想以上に全国から、世界からいろんなゲストさんがきてくれています。そうした方達からいろんな話を聞いて、いいなあと思う反面、まだまだ飯田は知られていないなという思いもあるので、これから長く宿を続けていけるように頑張っていけたらと思っているところです。

みなさん今後ともよろしくお願いします。

Yamairoゲストハウスオーナー・中村瑞季さん 写真=古厩志帆

湯澤 Yamairoさんは、すでにゲストハウスという“場”を核にしたネットワーク拠点になりつつある場所ですよね。そういう意味でこの場所は今回のテーマにもいいなと思っていました。

柴田 来てみたかったんですよ。今日は、ここに泊まってみたくてこのイベントに寄せてきたっていうところ、かなりあります。(笑)

熊谷 だって、築200年?の建物ですもんね。(そうです、と中村さんから)すごいですよね。

柴田 今度、全国のゲストハウスを紹介するイベントをやるんですが、間違いなくその時に紹介させてもらいます。

中村 ありがとうございます。

湯澤 では次に、遠山郷の山暮らしカンパニー・高橋くん、お願いします。

高橋 山暮らしカンパニーの高橋と申します。今年25歳で、今は軽井沢で働いて暮らしています。大学院に行っていたとき、ここにいる遠山郷の遠山(典宏)くんと山暮らしカンパニーを立ち上げたのがすべての始まりです。こちらにいる木股(玄登)くんも、一緒にやっています。

今日来ているのはコアメンバーで、他にも別の地域のメンバーともいろいろ活動しています。

高橋歩さん 写真=古厩志帆

カンパニーと名前がついているんですが、会社ではなく任意団体です。

そして遠山郷がどこかというと、飯田市ですが、ここ八幡町からだとさらに車で1時間ぐらい山道を走らないと着かない場所です。長野県、静岡県、愛知県の県境に位置している谷あいの地域で、飯田市に合併する前の、旧上村(かみむら)と旧南信濃村を合わせた通称です。

下栗の里が有名ですね、「飯田市 観光」で検索すると、こんな景色が出てくると思うんですが。

下栗の里(南信州・遠山郷 下栗の里ホームページより)

熊谷 おおー!

柴田 すごいですねこれは。

熊谷 これは斜面、ですよね。

高橋 そうなんです。この斜面に集落が作られていて。このエリアはちょっと標高が高いですね。無人駅が多い、「秘境線」とも呼ばれているJR飯田線の駅を通って、さんざん山道も通って、やっと飯田の市街地まで降りてこられるんです。

それだけの山奥なので山肉の文化もすごく残っていて、こちらの木股くんも猟師ですがジビエを扱うお肉屋さんがあったりします。

それから、山奥の地域の特産物としてよくこんにゃくがありますけど、遠山郷もこんにゃくが名物の一つですね。

霜月祭り、という800年続くと言われるお祭りも有名です。12月に入ると、遠山郷の各集落で行われるもので、お湯を沸かして全国の神様を癒す儀式で、これがあの「千と千尋の神隠し」のモデルになったと言われています。お祭り好きな方はぜひ、見に来てほしいです。

山暮らしカンパニーを立ち上げたのは、2016年3月です。当時僕はまだ大学生だったので、名古屋や東京で、南信州の人たちと「ゆかり飲み」という名前で飲み会をしたり、お隣である愛知の東栄町とか、似たような文化がある地域の人たちとも連携しようと飲み会をしていました。

「ゆかり飲み」開催時の様子 写真提供=高橋歩さん

高橋 実際に遠山郷に来てもらう、っていうイベントもやっていました。

2018年3月からは、「COM(M)PASSHOUSE」という、もとは空き家だった場所を活用したシェアハウスが、みなさんに来てもらったときにいろいろ体験ができる拠点になっています。

「COM(M)PASSHOUSE」の改修費は最初、クラウドファウンディングで資金を集めて、その後は色々な方に、余っている材木をいただいたり、食器をいただいたり、協力していただきながらやっています。

古民家で、茶畑が近くにあって、空き地もあるし、山も川も近くて、本当に山暮らしが楽しめる場所です。こういう場所で暮らしながら、夢を語ったり、挑戦したり、っていう環境になったらいいな、と思って活動しています。

 

クラウドファンディングのページ(現在は終了)。118名から、100万円を超える資金が寄せられた。

高橋 「山暮らしカンパニー」の関わりは2つあって、一つは魅力を伝え広めて関わってくれる人、遊びに来てくれる人を増やす、という関わり。「火付け役」と呼んでいて、担当は主に僕です。僕は飯田市の出身ですが、遠山郷には普段はいなくて、軽井沢と、東京にもたまに行きます。なので、スピーカーとして色々な方にお話をして、気になったら来てもらう、ということをしています。

もう一つは、実際に遠山郷に根ざして山暮らしを楽しむということ。これは、遠山くんと木股くんの二人ですね。畑をやったり、狩猟をしたり、いろいろなことに挑戦しています。

日々の様子はInstagramにアップしているので、みなさんぜひ、フォローしてください。

 

COM(M)PASS HOUSE・Instagramアカウント

高橋 こういう感じで、今では平日でも、どんどん人が来てくれるような状況になっています。

熊谷 でも、よく見つけましたよね、この空き家を。

高橋 じつはこれも、きっかけは木股くんが引っ越す先を探していたというところで。これは木股くんから。

木股玄登さん(以下木股) 僕はふだんは介護福祉の仕事をしているんですが、そのつながりで出会ったおばあちゃんが、ご家族に自分が空き家を探しているって話をしたら、紹介してくれて。

熊谷 すぐ見つかりましたか?

木股 探し始めて数ヶ月、結構すぐに。

柴田 トントン拍子だ。

高橋 それまで、いろんな物件は見てたんだよね。

熊谷 決め手は?

木股 一番は、人です。貸主さんと会って、話をした感触で。信頼関係がある上で借りたかったので。もう一つは立地ですね。蔵があって庭もあって日当たりもよくて、環境もすごくいいので。

熊谷 いや、最高ですよね。しかもそもそも地方だと、オーナーさんに会えない場合がありますよね。

木股 ありますあります、そっちのほうが多かったです。

熊谷 信頼関係ですよね。お金だけで解決するのじゃなく、最初は手間がかかるかもしれないけれどそっち(信頼関係)を優先した、っていう。それは今後、もっと生きてくるだろうな、って思います。

後編へ続く)

 


プロフィール

柴田 大輔

株式会社はじまり商店街 共同代表

1988年秋田県秋田市出身。幼少の頃から家族・学校・社会のコミュニティに疑問を抱く。 鎌倉を拠点にシェアハウスやゲストハウスの運営していたほか、カフェ・バル・家具屋に関わりながら街のコミュニティづくりを行う。 2017年4月BETTARA STAND日本橋のコミュニティービルダーになり、映画上映・まちづくり・地域と連携した飲食のイベントなど年間200本以上を運営・企画。 2018年5月には新たに誕生したTinys Yokohama Hinodecho のコミュニティビルダーとして、引き続き多様なイベントの企画・運営を行っている。 2018年10月から鎌倉のHOUSE YUIGAHAMAでも「コミュニティビルド」をテーマにLABメンバーとして研究中。

 

熊谷 賢輔

株式会社はじまり商店街 共同代表

1984年神奈川県横浜市出身。2013年 商社で6年間勤務を退社し、自転車で日本一周を実行。その後、アラスカ→カナダ→アメリカ西海岸→メキシコ110,000km を11ヶ月かけて自転車で走破。 モバイルな生活を送りながら「旅x仕事」を実践する。帰国後はYADOKARI株式会社代表と共にBETTARA STAND 日本橋プロジェクトに参画。2018年8月よりはじまり商店街(YADOKARI子会社)共同代表に。多様性・共有・コミュニティをテーマに、誰もが志へのキッカケを踏み出せる「はじまりを、はじめる」場作りを創造する。
他にも、ドラニストとして藤子・F・不二雄先生の哲学・思想を、イベント通して勝手に広報活動したり、日本のものづくりを応援するべく、デザイナーNorikim氏と「ボルトとナット」を展開したりと、コミュニティ作りの実践者としても活動中。

 

高橋歩

1993年生まれ。長野県飯田市出身。山暮らしカンパニー発起人。高校の友人に誘われたことがきっかけで遠山郷に通い始める。2016年、Uターンする友人とともに山暮らしカンパニーを立ち上げる。東京、遠山郷でのイベントを多数開催し、遠山郷の魅力を広く発信している。2016年3月には、築100年の古民家を活用した暮らし体験型シェアハウス「COM(M)PASS HOUSE」をオープン。遠山郷を軸にした人の交流拠点の運営に関わる。信州の企業と若者のマッチングイベントに参加したことがきっかけとなり、大学院卒業後は飯田にUターンせず、軽井沢のベンチャー企業に就職。休日を利用して遠山郷に通う生活を送る。定期的に東京へ足を運び、遠山郷とCOM(M)PASS HOUSEのPRしている。

 

湯澤英俊

飯田市IIDAブランド推進課 1978年生まれ。大学卒業後、模型ホビー会社を経て飯田市役所入庁。企業誘致や県境を越えた広域連携、大学との連携事業等を経て、一昨年から現職。 現在、地域社会での相互の認め合いと当事者意識を持って共創する「場づくり」と、生きることのリアリティをローカルの視点からつなぎ、「もっと居心地の良い暮らし方」、「もっと柔軟な働き方」、「もっと楽しい学び方」を追求するRound Table IIDA事業を展開中。

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