前回の、「筒井和服」を営む筒井康之さんからご紹介を頂いたのは、康之さんの兄の克政さんの営む「筒井捺染工場」で職人として働く熊谷みさとさんです。
飯田市上郷飯沼地区で明治30年に創業された「筒井捺染工場」。そこで着物を染色する技法のひとつである「型染め」の職人として働く熊谷さん。
この仕事と熊谷さんが出逢ったきっかけは、友人であり筒井家の長女、筒井洋子さんのひと声でした。
それまでは、サービス業で働いていた熊谷さん。転職を考えているタイミングで、現在も筒井捺染で働く洋子さんから誘いを受けたのだとか。
熊谷さんは、産まれも育ちも飯田でしたが、「筒井捺染で働き始めるまでは、染物と聞いても、思い浮かぶのは昔やったことのある草木染めくらい」と、染物や着物に関して詳しい訳ではありませんでしたが、師匠にあたる社長や、引退された職人さんの教えを受けて技術を磨き、早21年。今では、工場でも「替えの効かない存在」と言われる職人としてご活躍されています。
「型染め」とは、型紙と防染糊、色糊(染料と糊をまぜたもの)を使って布に紋様を染める古くから続く技法のこと。
筒井捺染では、武家の裃(かみしも)から庶民の浴衣まで広く親しまれていた「小紋」の柄の捺染を得意とし、1点づつ手作業で行う「手捺染(てなっせん)」で染め上げているのだそうです。
「『小紋』は、布地全体に小さな紋様を繰り返し染めあげる、普段使いのお着物で親しまれる柄の一つですが、小紋の中でもとくに細かな紋様の連続となる『極小紋』の着物は、グッと格式の高いものになるんです」
と、熊谷さん。
わかりやすく単純な柄であるからこそ、染め上げる為には熟練した腕前や数多くの手間も必要となる、ミスのできない繊細なものなのだと言います。
こちらはいくつもの柄をサンプルとして染め上げたもので、問屋さん等で柄を選ぶ際に使用される巻見本。
上の写真が、細かな極小紋。下が小紋と呼ばれている柄です。(はっきりとした区別はありませんが筒井捺染ではそう呼んでいます。)
細かくも鮮やかな柄が目を引く小紋の柄と、一見すると無地にも見えるが近くに寄ってみれば細かな柄の連続がわかる極小紋。
それぞれの良さは、実際に目で見て感じて欲しいな。と思うものばかりです。
そんな型染めの作業の一部を見せていただきました。
この日は、付け終えた柄の上に地色となる色糊を置いていく作業。
一反という大きな一面に、細かな柄を均等に、一気に仕上げていくためには、体力も細やかな神経もどちらも必要です。
こうして色糊を置き終わったあとは、ひと晩乾燥させます。翌日、高温で蒸し上げて色を定着させ、糊を洗い落とし、仕上げていきます。
近年、型染めに使う「型紙」は、昔からの柄を復元コピーして作られた「スクリーン枠」を使う事が多くなっています。以前はというと、美濃和紙に柿渋を塗り重ねた紙を専用の彫刻刀で切り抜き作られた、下の写真のようなものが使われていたそう。
和紙を作るのも、柿渋を塗る事も、柄を彫っていくのも、全国各地のそれぞれの職人の手で行われているもの。
着物を一着仕立て上げるのに、どれだけの人の手が介されているのか、「染める」という一つの工程からも感じられます。
ちなみに、こちらの型紙の柄は「中鮫」と呼ばれるもの。
小紋の中でも代表される柄の一つで、島津藩の定め柄として知られながら、現在も愛され続けているものだそうです。
「こうした着物の柄も、何かの折には目にしていた時代とは違い、今は本物を自ら求めていかなければなかなか目にするタイミングも少なくなっていますね。
パソコンやテレビ等のモニターを通して目にしたとしても、伝わりづらいもの。しかも、同じ柄だと紹介されていても機械捺染で大量生産された、コピー品であったりすることも多く、『本当のホンモノ』に触れる機会があまりにも少なくなってきてしまいました」
と、熊谷さんは伝統文化が直面している状況を語ります。
着物へ触れる機会の減少とともに、当然ながら着物に対するさまざまな需要も減少。全国の捺染工場の閉鎖の流れは止まりません。
そんななか、今も続く「筒井捺染工場」の強みは、兄弟で違った分野から着物に関わり続けていること。そして、地域に根差しながらも、新たな挑戦を続けている事で間口を広げているところ。
さらに私からもう一つ、付け加えるのならば、職人としてのピリッとした緊張感のある空気を持ちながらも、お話をするとあたたかく、「この人にお願いしたい」と思う筒井捺染工場、そして熊谷さんのお人柄も、長く支持されている理由の一つであると感じます。
実際に見せていただいた、熊谷さんの染めた一品。
遠くから見ると淡くなめらかな無地にも見えますが、近くで見れば「細かい模様があるウスアイ色」だということが見て取れます。
参勤交代や身分制度を厳しく打ち出していた江戸時代。
農民や町人に対して「身の程」をわきまえさせる為に服装にまで厳格な基準を定められていた、そんな時代に「どうにかして洒落たものを身につけたい」と願った江戸庶民達の想いに職人達が応えたのが、江戸小紋なのだとか。
遠くから見れば無地。近くで見れば粋な柄が広がるその模様は「遠くは色合い、近くは繊細優美」と、命令に苦しむ江戸っ子達の期待に応えるべく、職人達が互いの技術を競いながら広く発展していったのです。
優しくも力強い「職人の手掛けた手仕事の味」のある一着は、そんなストーリーを聞いた後と前ではまた、違った印象で見えてくるから不思議なものですね。
最後に熊谷さんに「飯田の良いところ」に関してお聞きすると
「立地も良くないから何もないけれど、お節介なくらいに優しくて人が良いよね。」とのこと。
熊谷さんが筒井捺染に入り、染めの仕事と出逢えたのも、友人としてのつながりから始まったこと。
プライベートでも、週末には地域のソフトボールチームで汗を流し、飯田市のスポーツ推進委員として活動される等、パワフルな日々を送られていそうな熊谷さん。
「どれも、人から声をかけてもらって始めることができたこと。人とのつながりがありがたいですね」
熊谷さんの日々は、きっとご自身や周りの皆さんの持つ人柄の良さがあってこそ。そんな地域なんだろうな。と感じます。
「家で眠っていたお手持ちのお着物に、好みの柄を染め加えたりもしています。メンテナンスや注文に関わらず、相談だけでも立ち寄ってください!」と、熊谷さん。
(筒井捺染工場・筒井和服のどちらからでも受付をして下さいます!)
お着物でお困りの事がある時には、間違いのないプロに直接相談すると、興味深いお話も聞けるかもしれません。
困った時に頼れる。相談をする事の出来る職人さんや、その道のプロが居る街。それはとても豊かで、かけがいのない文化だな。と、飯田の魅力の新たな一面を感じた今回でした。
筒井捺染工場
長野県飯田市上郷飯沼1655
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